莒州

莒州(きょしゅう)は、中国にかつて存在した北周から隋代にかけて、金代から民国初年にかけて、現在の山東省日照市臨沂市北部に設置された。

魏晋南北朝時代

468年皇興2年)、北魏により設置された南青州を前身とする。北周により莒州と改称された。

隋代

隋初には、莒州は2郡5県を管轄した。583年開皇3年)、隋が郡制を廃すると、莒州義塘郡の管轄県の懐仁義塘・帰義の3県は海州に統合された。605年大業元年)、莒州は廃止され、管轄県の東莞の2県は沂州に統合された。

金代

1182年(大定22年)、金により密州莒県に莒州が置かれた。莒州は山東東路に属し、莒・沂水日照の3県と沂安・濤洛の2鎮を管轄した[1]

元代

元のとき、莒州は益都路に属し、莒・沂水・日照・蒙陰の4県を管轄した[2]

明代以降

1369年洪武2年)、により莒県は廃止され、莒州に編入された。莒州は青州府に属し、沂水・日照の2県を管轄した[3]

1724年雍正2年)、により莒州は直隷州に昇格した。1735年(雍正13年)、莒州は沂州府に転属し、属県を持たない散州となった[4]

1912年中華民国により莒州は廃止され、莒県と改められた。

脚注

  1. ^ 金史』地理志中
  2. ^ 元史』地理志一
  3. ^ 明史』地理志二
  4. ^ 清史稿』地理志八
隋朝の行政区分
 
606年大業2年)以前(州制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区
 
607年大業3年)以後(郡制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区
金朝の行政区分
上京路
  • 蒲峪路
  • 合懶路
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  • 曷蘇館路
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軍司
  • 烏古敵烈統軍司
中都路
東京路
  • 澄州
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北京路
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