紀元前379年

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紀元前379年(きげんぜん379ねん)は、ローマ暦の年である。

当時は、「カピトリヌス、ウルソ、ユッルス、セクスティリウス、アルビニウス、アンティスティウス、トレボニウス、エレヌキウスが執政武官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元375年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前379年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法

できごと

ギリシア

  • スパルタはカルキディア同盟 (Chalkidian League) に圧力を加え、マケドニア王アミュンタス3世に有利な条件を呑ませた。
  • ペロピダスを中心としたテーバイからの亡命者たちの小集団が、テーバイに潜入し、親スパルタ政権の指導者たちを暗殺した。エパメイノンダスとゴルギダス (Gorgidas) が若者の集団を率いて、テーバイの造兵廠に押し入り、武器を奪い、来援したアテナイ重装歩兵の助けも借り、カドメイア (Cadmea) に陣取っていたスパルタ守備隊を包囲した。翌日、エパメイノンダスとゴルギダスは、テーバイの民会にペロピダスとその手勢を招じ入れ、テーバイ人たちに自由のために戦うことを訴えた。民会は、ペロピダスとその手勢を解放者と認めた。スパルタ守備隊は、命の保証と引き換えに降伏し、退去した。親スパルタ派のテーバイ人は、一旦は降伏を許されたが、その後に処刑された。
  • テーバイは、かつてのボイオーティア同盟を、新たに、民主政の下で再構築することになった。ボイオーティアの諸都市は、ボイオーティアの7地域から選ばれる7人の将軍(ボエオタルク、Boeotarch)が執行機関を構成する同盟として団結した。

中国

  • 趙がを襲撃したが、敗北した。

誕生

「Category:紀元前379年生」も参照

死去

「Category:紀元前379年没」も参照

脚注

注釈

出典

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関連項目

ウィキメディア・コモンズには、紀元前379年に関連するカテゴリがあります。
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