嫩江省
この項目では、中華民国の行政区画について説明しています。国共内戦末期の共産党による革命拠点については「嫩江省 (中国共産党)」をご覧ください。 |
中華民国 嫩江省 | |
← 1945年 - 1949年 → | |
簡称:嫩
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嫩江省の位置 | |
簡体字 | 嫩江 |
繁体字 | 嫩江 |
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拼音 | Nènjiāng |
カタカナ転記 | ネンジャン |
国家 | 中華民国 |
行政級別 | 省 |
政府所在地 | チチハル市 |
建置 | 1945年 |
廃止 | 1949年 |
面積 | |
- 総面積 | 67,034.13 km² |
人口 |
嫩江省(のんこう-しょう)は中華民国にかつて存在した省。中国東北の北西部に位置する。
地理
嫩江省は東は合江省、西は興安省、北は黒竜江省、南は松江省、遼北省、吉林省と接し、現在の黒竜江省西部、依安県・明水県・綏化市北林区以南、通河県以西、松花江以北の地域に相当する。
歴史
嫩江省は満洲国時代の竜江省を前身とする。1945年(民国34年)の日本の敗戦に伴い満洲国が崩壊すると国民政府は9月4日に嫩江省長を任命、省会を斉斉哈爾市に設置した。1947年(民国36年)6月、東北9省の行政区域が正式に策定されると1市18県2旗を管轄するようになった。
しかし国共内戦の結果中国共産党の実効支配下におかれていた嫩江省では実際に行政機構の大部分が機能することなく崩壊している。
行政区画
下部行政区画は下記の通り。
- 市
- 県
- 旗
関連項目
前の行政区画 竜江省 | 黒竜江省の歴史的地名 1945年 - 1947年 | 次の行政区画 嫩江省 |
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台湾地区の行政区画 (1955年2 - 現在) |
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大陸地区を含む全領域(中国語版)の行政区画4 (1912年 - 2005年5) |
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各行政区画が属する区域についてはTemplate:中国地理大区を参照のこと。 1 北京政府、または国民政府・中華民国政府が中央政府機構を1年以上設置した実績のある都市。なお、1925年 - 1928年は北京政府と国民政府の並立期間。 2 国共内戦(大陳島撤退作戦)にともない中華民国政府の実効支配地域が変更された最後の年。 3 行政改革によって行政機関としての機能は2018年までに消滅。ただし、中華民国憲法と中華民国憲法増修條文の上では廃止されていない。 4 この行の記載は、行政院新聞局が2005年に刊行した「中華民國九十四年年鑑」に基づく。 5 「中華民國九十四年年鑑」が刊行された年。これ以降、中華民国政府は大陸地区の範囲・行政区分に関する公告を発表していない。 6 全域が台湾地区に属する。 7 金馬地区が台湾地区に、それ以外の地区が大陸地区に属する。 8 モンゴルの独立を承認したため、1946年に廃止。その後モンゴルの独立承認を取り消したため、1953年に復活(詳細は台蒙関係を参照)。 |
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