烈公 (晋)

烈公 姫止
公(周制における爵位は侯)
王朝
在位期間 紀元前416年 - 紀元前389年(『史記六国年表では、紀元前420年 - 紀元前393年
都城 新絳
姓・諱 姫止
諡号 烈公(烈成公)
没年 紀元前389年
幽公

烈公[1](れっこう、生年不詳 - 紀元前389年)は、中国春秋戦国時代の晋の君主。姓は姫、名は止。

生涯

晋の幽公の子[2]として生まれた。紀元前416年、幽公が殺害されると、後を嗣いで烈公が晋公として即位した。紀元前413年、楚軍の侵攻を受け、上洛にまで達した[3]紀元前404年、韓の景侯や趙の烈侯に命じて斉を討ち、これを撃破した[4]。烈公は捕虜の斉兵を威烈王に献上した[5]。既に趙・韓・魏は自立状態にあったが、紀元前403年に威烈王によって諸侯に列せられ、晋と趙・韓・魏は名目上の君臣関係ですら無くなった。

紀元前389年、烈公は死去し、子の孝公が晋公として即位した[6]

脚注

  1. ^ 史記』晋世家および同書六国年表による。『史記索隠』晋世家所引『世本』は烈成公とする。
  2. ^ 『史記』晋世家による。同書六国年表は幽公の弟とする。
  3. ^ 水経注』丹水所引『竹書紀年
  4. ^ 『水経注』汶水所引『竹書紀年』
  5. ^ 清華簡』「繋年」22章
  6. ^ 『史記』晋世家
先代
幽公
晋の君主
前416年 - 前389年
次代
孝公


晋の君主

成師(桓叔)の曲沃就封で、晋は翼の宗家と曲沃の分家に分裂

翼宗家
曲沃分家

曲沃の武公が翼の晋侯緡を滅ぼし、晋が再統一される

  • 武公前678-前677
  • 献公前676-前651
  • 奚斉前651
  • 卓子前651
  • 恵公前650-前637
  • 懐公前637-前636
  • 文公前636-前628
  • 襄公前627-前621
  • 霊公前620-前607
  • 成公前606-前600
  • 景公前599-前581
  • 厲公前580-前573
  • 悼公前572-前558
  • 平公前557-前532
  • 昭公前531-前526
  • 頃公前525-前512
  • 定公前511-前475
  • 出公前474-前457
  • 哀公前456-前438
  • 幽公前437-前420
  • 烈公前419-前393
  • 孝公前392-前378
  • 静公前377-前376
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