山下達郎のオールナイトニッポン

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山下達郎のオールナイトニッポン』は、1976年1月8日から9月までニッポン放送で放送されていた深夜のラジオ番組である。パーソナリティ山下達郎

放送時間

1976年3月までは水曜2部(27:00-29:00、正確には木曜3:00-5:00)、それ以降は番組終了まで月曜2部(同じく、正確には火曜の早朝)の枠で放送されていた。

2022年6月21日に、オールナイトニッポン55周年記念特番として、「山下達郎のオールナイトニッポンGOLD」が放送された。オールナイトニッポンの出演は46年ぶり。翌年2月18日に『オールナイトニッポン55周年記念 オールナイトニッポン55時間スペシャル』の一環として『山下達郎と上柳昌彦のオールナイトニッポン』が放送された。

エピソード

  • 放送時期は山下が組んでいたバンド、シュガー・ベイブの解散前後かつ『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』の発売前後にあたり、彼にとってソロデビューを果たす前である(『CIRCUS TOWN』の発売は番組終了後の1976年12月25日)。
  • 9ヶ月でシュガー・ベイブ特集を組むという伝説を残した番組としても知られる。
  • 1976年3月26日(27日未明)には、年度替わりによる編成の切り替えの都合[1]もあり、特別に第1部のパーソナリティーを担当し、山下と縁のある音楽家に突然電話してリクエストしてもらうコーナーを企画した。その中には裏番組であるTBSラジオパック・イン・ミュージック』土曜日(金曜深夜)を担当していた山本コウタローにまで電話リクエストを行わせている[2]
  • 山下は「選曲の自由が無く、ディレクターがフジパシフィックの管理楽曲やビートルズの曲ばっかりかけるので嫌だった」と、『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』でゲスト出演したときに語っている。
  • ビーチ・ボーイズの当時の全アルバム全曲を4か月かけてオンエアしたが、毎週ディレクターに怒られて半年でクビになったと語っている(『サンデー・ソングブック』1997年11月9日放送分)。
  • 前述したように、2023年2月18日『オールナイトニッポン55周年記念 オールナイトニッポン55時間スペシャル』の一環として『山下達郎と上柳昌彦のオールナイトニッポン』が放送され、この中で山下は、『山下達郎のオールナイトニッポン』の番組内の選曲がマニアックすぎたがために、当時のオールナイトニッポンのプロデューサーから「10曲かけるなら7曲は誰でも知っている曲をかけて欲しい」と注意されたが、山下自身は「僕はミュージシャンなんです。自分がかける曲は自分のミュージシャンとしてのアイデンティティだ」と主張した上で、前述したようにビーチ・ボーイズの当時の全アルバム全曲を放送したというエピソードを披露した[3]

脚注

  1. ^ この前週・3月19日(20日未明)をもって武田鉄矢が卒業。後任の吉村達也の担当が春季改編後の4月9日(10日未明)からであるためのつなぎという位置づけ
  2. ^ 放送当時の録音
  3. ^ 「山下達郎と上柳昌彦がラジオで綴る、優しさと力強さと希望」『ニッポン放送』、2023年2月18日。2023年2月21日閲覧。
シングル
山下達郎のシングル
オリジナル
70年代
75年
76年
79年
80年代
80年
82年
83年
84年
85年
87年
88年
89年
90年代
90年
  • 20.Endless Game
91年
92年
93年
94年
  • 26.パレード
95年
  • 27.世界の果てまで
96年
98年
  • 30.ヘロン
  • 31.いつか晴れた日に
99年
00年代
00年
01年
02年
03年
04年
  • 39.忘れないで
05年
08年
09年
10年代
10年
11年
13年
16年
17年
  • 50.REBORN
18年
19年
  • 52.RECIPE(レシピ)
20年代
23年
配信

Let It Be Me (山下達郎&竹内まりや)

アルバム
スタジオ
NIAGARA
RCA / AIR
MOON / WARNER
ベスト
公認・監修
非監修・事後公認
企画
ア・カペラ
サウンドトラック
レア音源集
  • RARITIES
ボックス・セット
ライブ
その他
コンピレーション
  • PACIFIC
楽曲
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