1982年の横浜大洋ホエールズ(1982ねんのよこはまたいようホエールズ)では、1982年の横浜大洋ホエールズにおける動向をまとめる。
1982年の横浜大洋ホエールズは、関根潤三監督の1年目のシーズンである。
概要
土井淳前監督の休養を受けてチームは1981年オフに長嶋茂雄の監督招聘に動いたが、長嶋が「古巣の巨人を敵に回せない」として拒否したため、球団と資本関係のあるフジテレビの野球解説者だった関根潤三を監督に就任させた。こうしてスタートした関根体制は4月こそ首位争いに加わるも7月以降失速しBクラスに低迷したが、投手陣では遠藤一彦と役割を交換した斉藤明夫が抑えながらも最優秀防御率を獲得し、先発に回った遠藤もBクラスのチームでまずまずの成績を収め、ベテラン平松政次や野村収も衰えを隠せなくなったものの、それなりの成績を残してチーム防御率は最下位ながらも3.92と若干改善された。打撃陣では10年目の長崎啓二が開幕から打棒が絶好調で、優勝した中日の田尾安志と首位打者を争った。それ以外では2年目の高木豊が一軍に定着し、4番の田代富雄は三振こそ多かったものの27本塁打の活躍でチーム本塁打125本はリーグ4位を記録した。残り試合の少ない巨人は得意の大洋戦で勝ち越せず全日程を終了したが、中日の試合が残っており、10月18日の中日戦を迎える。しかし大洋の投手陣は長崎の首位打者を守るため田尾を敬遠し、それに奮起した中日打線が打ちまくり戦意を喪失。最終的に中日の胴上げを許し、関根監督の1年目は5位に終わった。それでもルーキーの金沢次男など若手が台頭したこともあり、翌年のAクラスにつながることになる。対戦成績では最下位のヤクルトに18勝6敗2分と勝ち越したが、逆に優勝の中日に弱く5勝17敗4分で大きく負け越した。
チーム成績
レギュラーシーズン
オーダー変遷 | 開幕:4/3 | 5/1 | 6/2 | 7/1 | 8/4 | 9/1 |
1 | 遊 | 山下大輔 | 遊 | 山下大輔 | 遊 | 山下大輔 | 遊 | 山下大輔 | 遊 | 山下大輔 | 中 | 屋鋪要 |
2 | 二 | 基満男 | 中 | 長崎啓二 | 中 | 屋鋪要 | 左 | 長崎啓二 | 左 | 長崎啓二 | 左 | 長崎啓二 |
3 | 中 | 長崎啓二 | 一 | ラム | 左 | 長崎啓二 | 一 | ラム | 一 | ラム | 遊 | 山下大輔 |
4 | 三 | 田代富雄 | 三 | 田代富雄 | 三 | 田代富雄 | 三 | 田代富雄 | 三 | 田代富雄 | 一 | ラム |
5 | 一 | ラム | 左 | 高木嘉一 | 右 | 高木嘉一 | 右 | 高木嘉一 | 右 | 高木嘉一 | 二 | 基満男 |
6 | 左 | 高木嘉一 | 二 | 高木豊 | 二 | 高木豊 | 二 | 基満男 | 二 | 基満男 | 三 | 高木豊 |
7 | 右 | マーク | 右 | マーク | 一 | 中塚政幸 | 中 | 屋鋪要 | 捕 | 福島久晃 | 右 | マーク |
8 | 捕 | 辻恭彦 | 捕 | 辻恭彦 | 捕 | 辻恭彦 | 捕 | 高浦美佐緒 | 中 | マーク | 捕 | 高浦美佐緒 |
9 | 投 | 斉藤明夫 | 投 | 遠藤一彦 | 投 | 平松政次 | 投 | 平松政次 | 投 | 平松政次 | 投 | 金沢次男 |
[2]
1982年セントラル・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 |
1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 広島 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 中日 | -- |
2位 | 大洋 | 2.5 | 中日 | 1.0 | 巨人 | 1.0 | 中日 | 1.0 | 中日 | 4.0 | 巨人 | 0.5 |
3位 | 中日 | 3.0 | 広島 | 1.0 | 中日 | 3.0 | 広島 | 2.0 | 阪神 | 8.0 | 阪神 | 4.5 |
4位 | 広島 | 大洋 | 3.0 | 大洋 | 4.0 | 大洋 | 6.5 | 広島 | 11.0 | 広島 | 8.0 |
5位 | ヤクルト | 5.5 | ヤクルト | 7.0 | 阪神 | 4.5 | 阪神 | 7.5 | 大洋 | 13.5 | 大洋 | 14.5 |
6位 | 阪神 | 7.0 | 阪神 | 12.0 | ヤクルト | 17.5 | ヤクルト | 19.0 | ヤクルト | 23.5 | ヤクルト | 23.5 |
[1]
オールスターゲーム1982
詳細は「1982年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 斎藤明夫
- 長崎啓二
できごと
選手・スタッフ
横浜大洋ホエールズ 1982 |
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | - 59 山根俊英(監督)
- 60 稲川誠(投手)
- 91 江尻亮(打撃)
- 74 米田慶三郎(守備走塁)
- 77 伊藤勲(バッテリー)
- 75 田村武雄(ランニングコーチ兼寮長)
- 79 竹沢安博(ランニングコーチ)
- 84 三浦正行(コーチ補佐兼副寮長)
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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表彰選手
リーグ・リーダー |
選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
長崎啓二 | 首位打者 | .351 | 初受賞 |
斉藤明夫 | 最優秀防御率 | 2.07 | 初受賞 |
ベストナイン |
選手名 | ポジション | 回数 |
長崎啓二 | 外野手 | 初受賞 |
ダイヤモンドグラブ賞 |
選手名 | ポジション | 回数 |
山下大輔 | 遊撃手 | 7年連続7度目 |
ドラフト
詳細は「1982年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
[脚注の使い方]
- ^ a b “年度別成績 1982年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月7日閲覧。
- ^ 『日本プロ野球記録年鑑 ベースボール・レコード・ブック1983』ベースボール・マガジン社、1982年。ISBN 4-583-02163-1。
各年の横浜DeNAベイスターズ |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1953年開幕直前に松竹ロビンスと球団合併 |
| この項目は、野球に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球/P野球)。 |