趙安宗

趙 安宗(ちょう あんそう、建元元年(343年)- 興寧元年3月17日(363年4月16日))は、南朝宋の武帝劉裕の母。南朝宋の孝穆皇后と追尊された。本貫下邳郡僮県

経歴

東晋の平原郡太守の趙裔と孫氏(建昌県君)のあいだの娘として生まれた。升平4年(360年)、劉翹にとついだ。興寧元年(363年)3月17日、劉裕を産んだ。難産のためにその日のうちに丹徒県の官舎で死去した。享年は21。晋陵郡丹徒県の東郷練璧里の雩山に葬られた。

永初元年(420年)、孝穆皇后の諡号を贈られた。陵を興寧陵といった。

伝記資料

南朝の皇后

文献張皇后* / 武徳郗皇后* / 穆丁太后* / 文宣阮太后* / 簡文簡王皇后* / 張皇后(豫章王) / 王皇后(敬帝) / (後梁)宣静王皇后 / (後梁)張皇后(明帝) / (後梁)蔡皇后(後主)

*:追尊皇后・皇太后