西川恭爾
西川 恭爾(にしかわ きょうじ、1939年7月12日 - )は、日本の実業家。阪神電気鉄道相談役・元社長。
来歴・人物
滋賀県彦根市出身[1]。滋賀県立彦根東高等学校、京都大学卒業。京都大学大学院工学研究科(土木工学専攻)修了後の1965年に国鉄へ入社した[1]。大阪駅再開発事業や東北新幹線上野乗り入れ事業にあたるなど、国鉄技術部門の中核を担った[1]。1986年3月、阪神電鉄へ入社した[1]。西梅田開発部長、鉄道事業本部長などを歴任し、2004年6月に代表取締役社長に就任した[1]。その他には朝日放送取締役なども務めた。
しかし、村上ファンドによる株主大量取得事件が発生し、当時の代表取締役会長だった手塚昌利とともに引責辞任をし、相談役へ退いた[1]。
脚注
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- ^ a b c d e f 関西学院大学経営戦略研究科|[現代企業家の戦略的役割]企業家紹介
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