明石藩舞子台場跡
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地図
明石藩舞子台場跡(あかしはんまいこだいばあと)は、兵庫県神戸市垂水区の舞子公園にある砲台跡。舞子砲台跡とも。国の史跡に指定されている。
概要
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fd/Akashi-han_Maiko-daibaato01nt3200.jpg/280px-Akashi-han_Maiko-daibaato01nt3200.jpg)
幕末の文久3年(1863年)、将軍徳川家茂による大坂湾の海防状況視察の際に、砲台拡充の幕命を受けた明石城主松平慶憲により築造された。工事は勝海舟の設計・総指揮、設備担当は幕使佐藤與之介、施工は明石藩で、ほか神戸海軍操練所等の協力による。竣工は1865年。
建設の目的は、淡路島北端(淡路市)の徳島藩松帆台場跡(国の史跡)と対になって両岸から明石海峡(瀬戸内海と大阪湾をつなぐ海峡)を通過する黒船を挟撃することであったが、一度も使用されることはなく現在に至っている。
建築概要
当時の一般的な台場は上部が土盛り形式であった。 しかし当台場は総石垣造である。 半星形稜堡で幅約70m、高さ約10mという規模で建設されるも、明治時代末の火災により上部が撤去されたため高さ6mとなった。 2003年~2004年の発掘調査で全容を確認できたが、保存のため埋め戻されたため、現在は台場の一部と石垣の一部が地表に露出しているだけである。
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関連項目
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外部リンク
座標: 北緯34度37分58.5秒 東経135度1分56.2秒 / 北緯34.632917度 東経135.032278度 / 34.632917; 135.032278
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