五馬渡江

五馬渡江(ごばとこう)は、中国西晋が永嘉5年(311年)に永嘉の乱に遭い混乱し、愍帝が匈奴系である漢(後の前趙)に捕虜にされたのち殺されて王朝が滅亡した時、既に長江を渡って避難していた五人の西晋宗室の諸侯王が建業において東晋王朝を建立したことを指す[1]

五馬王

  • 琅邪王 司馬睿(景文) - 後の元帝
  • 西陽王 司馬羕(延年) - 汝南王司馬亮の子
  • 南頓王 司馬宗(延祚) - 司馬亮の子
  • 汝南王 司馬祐(永猷) - 司馬亮の次男の司馬矩の子。前二人の甥。
  • 彭城王 司馬雄 - 司馬馗(司馬懿の弟で、東海王司馬越の祖父)の玄孫。

脚注

  1. ^ 晋書』巻六 帝紀第六にいう。太安の際、童謠にて、「五馬浮渡江、一馬化為龍(五頭の馬(司馬氏)が長江を浮かんで渡り、一頭の馬(司馬氏)が龍に化ける)」と謡われた。永嘉の乱に及び、歳・鎮・熒惑・太白聚斗・牛之間の識者は呉越の地を王者の興り盛んになる地と思った。年が経ち、王室が転覆するに及び、琅邪王・西陽王・汝南王・南頓王・彭城王の五王が王室を得て救って、遂には琅邪王の司馬睿が童謡の通りに龍に化けるが如く帝位に上り詰めた。
    『晋書』巻六 帝紀第六:太安之際,童謠云:「五馬浮渡江,一馬化為龍。」及永嘉中,歳・鎮・熒惑・太白聚斗・牛之間,識者以為呉越之地当興王者。是歳,王室淪覆,帝与西陽・汝南・南頓・彭城五王獲済,而帝竟登大位焉。