ラリー・ジョンソン (バスケットボール)

ラリー・ジョンソン
Larry Johnson
引退
ポジション PF
基本情報
愛称 L.J.
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1969-03-14) 1969年3月14日(55歳)
出身地 テキサス州タイラー
身長(現役時) 201cm (6 ft 7 in)
体重(現役時) 113kg (249 lb)
キャリア情報
出身 ネバダ大学ラスベガス校
NBAドラフト 1991年 / 1巡目 / 全体1位[1]
選手経歴
1991-1996
1996-2001
シャーロット・ホーネッツ
ニューヨーク・ニックス
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

ラリー・デメトリック・ジョンソン(Larry Demetric Johnson、1969年3月14日-)は、アメリカ合衆国テキサス州タイラー出身の元バスケットボール選手。ポジションはパワーフォワード。NBAのシャーロット・ホーネッツニューヨーク・ニックスで活躍した。身長201センチ、体重113キロ。

キャリア

1988-1989年シーズンはオデッサカレッジでプレーしていた。移籍したUNLV大学で1990年のNCAA男子バスケットボールトーナメントで優勝、1991年のNBAドラフト1巡目全体1位でホーネッツに指名されて入団した。その年ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。ケンドール・ギルと翌1992年のドラフト1巡目全体2位で指名されたアロンゾ・モーニングが加入しホーネッツは「フューチャーブルズ」(未来のシカゴ・ブルズ)と呼ばれるほど強豪チームとして期待された。

1994年バスケットボール世界選手権ドリームチームIIとして出場し優勝した。1995-96シーズン前にジョンソンとモーニングの間に摩擦が生じモーニングはマイアミ・ヒートにトレードされてチームは停滞した。1996年、ジョンソンもアンソニー・メイソンとのトレードでニックスにトレードされた。

ニックスでは、1999年のプレーオフのインディアナ・ペイサーズ戦で重要な役割を演じた。残り11.9秒でボールを受けたジョンソンは3ポイントシュートを放った際に、アントニオ・デービスのファウルを受けたがこれを見事沈めてフリースローも与えられ92-91でそのゲームの勝利を呼び込んだ。その年ジョンソンにとって初のNBAファイナル出場を果たした。翌2000年のカンファレンスファイナルでのペイサーズとのシリーズでも活躍したが、チームは2勝4敗で敗れた。2001年の10月10日に引退を表明した。腰に爆弾を持ったままの現役生活で、キャリアの最後の5年間では徐々に平均得点を減らしていた。

2007年7月にジョンソンはニックスでリーダーシップを発揮する役割を担おうと現役復帰する意思を持っていることが報道された。

映画、スペース・ジャムで才能を奪われてしまうNBA選手としてボーグス、ショーン・ブラッドリーチャールズ・バークレーパトリック・ユーイングとともにカメオ出演を果たしている。

愛称はイニシャルからLJ。または出演したコンバースのCMで老婦人を演じたため、Grandma-ma(お婆ちゃん)の愛称で呼ばれた。

プレースタイル

ジョンソンはパワーフォワードとしては身長201cmと小柄であるがパワフルなプレーでインサイドを支配した。無骨な容姿に似合わずシュートレンジも広く、アシストも巧みで洗練された選手である。似たような選手としてチャールズ・バークレーがいる。

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 NBA、Basketball-Reference、ESPN、Eurobasket、RealGM
  • ラリー・ジョンソン(英語)
  • ラリー・ジョンソン引退表明(USAトゥデイ)・・・ (glandma-ma の画像あり)
1940年代
  • 1947 クリフトン・マクニーリィ
  • 1948 アンディ・トンコヴィッチ
  • 1949 ハウィ・シャノン
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1950年代
1960年代
1970年代
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2000年代
2010年代
2020年代
アメリカ合衆国の旗 バスケットボール男子アメリカ合衆国代表 - 1994 世界選手権 11位 金メダル
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