ヒスパニア・ウルテリオル
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橙がヒスパニア・キテリオル
緑がヒスパニア・ウルテリオル
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ヒスパニア・ウルテリオル(ラテン語: Hispania Ulterior)は、ヒスパニアに置かれたローマ帝国の属州のひとつ。
地理
「向こう側のヒスパニア」「遠いほうのヒスパニア」[1]を意味する。大まかには今日のグアダルキビール川流域であり、主都はコルドゥバ(現在のコルドバ)だった。カルタゴ・ノバより北にはヒスパニア・キテリオルがあり、ヒスパニア・キテリオルは「こちら側のヒスパニア」を意味する。
歴史
第二次ポエニ戦争中の紀元前209年、大スキピオはイリッパの戦いでカルタゴ人に勝利し、手中に収めた町をカルタゴ・ノヴァ(現在のカルタヘナ)と命名した。このローマ軍の勝利により、ローマはカルタゴ人のヒスパニア南部での進軍を阻み、エブロ川までのイベリア半島地中海岸を手に入れた。第二次ポエニ戦争終結から4年後の紀元前197年には、ヒスパニア・キテリオルとヒスパニア・ウルテリオルという2つの属州が設立された。
紀元1世紀末、アウグストゥスはヒスパニアの属州を再編成した。ヒスパニア・ウルテリオルをヒスパニア・バエティカと改称し、ヒスパニア第3の属州としてヒスパニア・ルシタニアを新設した。
脚注
- ^ Thomas Nelson and Sons "Nelson's Encyclopaedia" New York (1907), vol. XI, p. 338 ("Spain").
関連項目
外部リンク
- Detailed map of the Pre-Roman Peoples of Iberia (around 200 BC)
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上記は、ローマ帝国の領土が最大となった117年の属州。「東方属州」はトラヤヌス帝期にのみ存在した属州。 |
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歴史的背景 | 293年、ディオクレティアヌスによって属州の統治体制が再編され、新たに管区が制定された。道は337年のコンスタンティヌス1世の死後、確立された。 | ||||||||||
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