ハコル

ハコル
アコリス(希)
断片的な花崗閃緑岩のトルソー(ボストン美術館)
断片的な花崗閃緑岩のトルソーボストン美術館
古代エジプト ファラオ
統治期間 紀元前393年 - 紀元前380年,第29王朝
前王 プサムティス
次王 ネフェリテス2世
ファラオ名 (五重称号)
  • ホルス名:  ꜥꜣ-ỉb-mry-tꜣwy
    Great of intellect who loves the Two Lands
  • G5
    aA
    ib Z1
    N36
    N17
    N17

  • ネブティ名(二女神名): qnw
    The Brave
  • G16
    q
    n
    Z9
    D40

  • 黄金のホルス名: sḥtp nṯrw
    Satisfying the gods
  • G8
    sHtp
    t p
    nTrw

  • 即位名: Maatibre
    Justice is the Heart of Re[1]
  • M23L2
    raXnmC10C4stp
    n

  • 誕生名: hkr
    Hakor
  • G39N5
    hkrw
    Z1

    hg
    r

子息 ネフェリテス2世
死去 紀元前380年
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ハコル(あるいはギリシア語アコリス 紀元前393年 - 紀元前380年)は、エジプト第29王朝ファラオ。ネフェリテス1世が没すると、後継を先王の子とプサムティスとが争うが、王朝を興したのは両者を倒したハコルだった。王権を正当化するために自らをネフェリテス1世の孫と詐称するとともに子にもネフェリテスと名づけ、さらには記念碑をたててその旨を記している[1]。ハコルがエジプトを支配したのはわずか14年だが、その治世はファラオが普請を命じた幾多の建造物に彩られている。また先達の王たちが建ててきた遺跡の大規模な修復も手がけている[1]

支配者となってまもなく、ハコルは自らの上に立つアケメネス朝ペルシア帝国の王に反旗を翻した。アルタクセルクセス2世は紀元前386年に、ペルシアに逆らわないという条件のもとギリシア本土の都市国家に自治権を与えるとともに小アジアキプロスをエジプトに委ねて勢力図を安定させようとした[1]

コリントス戦争が終わるとペルシアの手はエジプトに伸びたが、海軍の整備を進め、ギリシア人傭兵を重用するなどして力を蓄えていたエジプトは、紀元前383年から3年間、大国を相手に逆襲を試みている[1]。ハコルは紀元前380年に亡くなり、ネフェリテス2世が後を継いだ。しかし一年と経たずにネフェリテス2世はネクタネボ1世に倒され、王朝は断絶した。

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e クレイトン 1999, p. 260.

参考文献

先代
プサムティス
古代エジプト王
第29王朝
紀元前393年 - 紀元前380年
次代
ネフェリテス2世
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