ティモシー・ゲーブル
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2001年GPファイナルのティモシー・ゲーブル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕 | (1980-09-10) 1980年9月10日(43歳) イリノイ州エヴァンストン[1][2] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 170 cm[1][2] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
代表国 | アメリカ合衆国 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブ | ウィンターハーストFSC[1] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引退 | 2006年4月25日 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ISUパーソナルベストスコア | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ティモシー・ゲーブル(英語: Timothy Goebel, 1980年9月10日[1][2] - )は、アメリカ合衆国の元フィギュアスケート選手(男子シングル)。2002年ソルトレイクシティオリンピック男子シングル銅メダリスト。
1998年ISUジュニアシリーズファイナルにおいて、ISU公式戦で初めて4回転サルコウを成功させた選手であり[2]、1999年スケートアメリカにおいて、ISU公式戦で初めて1つのフリースケーティングで3度の4回転ジャンプ(4回転サルコウ-3回転トウループ、4回転トウループ、4回転サルコウ)を成功させた選手である[3]。
人物
2016年4月、ピムコでアセットマネージャーとして働く男性との婚約を発表[5]、2017年4月29日に挙式が行われた[6]。
経歴
4回転ジャンプを得意とし、クワドキング(4回転の王)と称えられた[2][7]。競技会で4回転サルコウ、4回転トウループを跳んだほか、練習では4回転ループにも成功していた[3]。
スケートを始めたのは4歳のとき[3][7]。1998年、ISUジュニアシリーズファイナルにおいて、史上初めて4回転サルコウを成功させて優勝[3][8]。1999年世界選手権では4回転サルコウ-3回転トウループを決め[7]、1999年スケートアメリカのフリースケーティングでは史上初めて3度の4回転ジャンプ(4回転サルコウ-3回転トウループ、4回転トウループ、4回転サルコウ)に成功した[3][7][9]。2002年ソルトレイクシティオリンピックでは3度の4回転ジャンプを成功させて銅メダルに輝いた。続く2002年世界選手権でも銀メダルを獲得した。
2002-2003シーズンは右臀部を傷めた影響でISUグランプリシリーズを欠場[7]。世界選手権でこそ2年連続の2位に入ったものの、翌2003-2004シーズンも万全の状態では迎えられず、スケートアメリカ、GPファイナル、全米選手権を棄権するなど苦しんだ[7]。2004-2005シーズンにはさらに首と背中を傷め、ロシア杯欠場を余儀なくされた[7]。度重なる怪我のため得意のジャンプも決まらなくなり[2]、2005-2006シーズンを最後に引退を表明した。
引退後はコロンビア大学で数学を学び、2010年5月に卒業。卒業後はニールセンに就職する予定である。現在もスケート界が行っているハーレム地区でのボランティアに参加し、週末にコーチを行っている[10]。後はGoogleでデータアナリストとして務めた[11]。
主な戦績
大会/年 | 94-95 | 95-96 | 96-97 | 97-98 | 98-99 | 99-00 | 00-01 | 01-02 | 02-03 | 03-04 | 04-05 | 05-06 |
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オリンピック | 3 | |||||||||||
世界選手権 | 12 | 11 | 4 | 2 | 2 | 10 | ||||||
四大陸選手権 | 13 | |||||||||||
全米選手権 | 5 J | 1 J | 6 | 棄権 | 3 | 2 | 1 | 2 | 2 | 棄権 | 2 | 7 |
GPファイナル | 3 | 3 | ||||||||||
GPエリック杯 | 4 | |||||||||||
GPスケートアメリカ | 2 | 1 | 1 | 6 | ||||||||
GPNHK杯 | 2 | 2 | 2 | |||||||||
GP中国杯 | 1 | |||||||||||
GPスパルカッセン杯 | 2 | 2 | ||||||||||
GPロシア杯 | 12 | |||||||||||
ネーベルホルン杯 | 1 | |||||||||||
世界Jr.選手権 | 14 | 7 | 2 | |||||||||
JGPファイナル | 1 | |||||||||||
JGPウクライナ記念 | 1 | |||||||||||
JGPサン・ジェルヴェ | 2 | 1 |
詳細
2005-2006 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
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2006年1月7日-15日 | 全米フィギュアスケート選手権(セントルイス) | 5 70.27 | 8 131.34 | 7 201.61 |
2005年11月17日-20日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 4 65.05 | 6 117.36 | 4 182.41 |
2005年10月20日-23日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(アトランティックシティ) | 6 58.72 | 8 95.96 | 6 154.68 |
2004-2005 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
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2005年3月14日-20日 | 2005年世界フィギュアスケート選手権(モスクワ) | 9 29.78 | 14 62.95 | 9 129.84 | 10 222.57 |
2005年1月9日-16日 | 全米フィギュアスケート選手権(ポートランド) | - | 1 | 2 | 2 |
2004年11月4日-7日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(名古屋) | - | 2 72.20 | 2 136.08 | 2 208.28 |
2003-2004 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
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2004年1月3日-11日 | 全米フィギュアスケート選手権(アトランタ) | 10 | - | 棄権 |
2003年11月27日-30日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(旭川) | 1 73.65 | 2 131.86 | 2 205.51 |
2003年11月6日-9日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(北京) | 2 67.70 | 1 137.60 | 1 205.30 |
2002-2003 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
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2003年3月24日-30日 | 2003年世界フィギュアスケート選手権(ワシントンD.C.) | 2 | 2 | 2 | 2 |
2003年1月12日-19日 | 全米フィギュアスケート選手権(ダラス) | - | 1 | 3 | 2 |
2001-2002 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
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2002年3月16日-24日 | 2002年世界フィギュアスケート選手権(長野) | 1 | 4 | 2 | 2 |
2002年2月9日-21日 | ソルトレイクシティオリンピック(ソルトレイクシティ) | - | 3 | 3 | 3 |
2002年1月6日-13日 | 全米フィギュアスケート選手権(ロサンゼルス) | - | 1 | 2 | 2 |
2001年12月14日-16日 | 2001/2002 ISUグランプリファイナル(キッチナー) | - | 3 | 3 | 3 |
3 | |||||
2001年11月8日-11日 | ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯(ゲルゼンキルヒェン) | - | 2 | 2 | 2 |
2001年10月24日-28日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(コロラドスプリングス) | - | 2 | 1 | 1 |
2000-2001 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
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2001年3月17日-25日 | 2001年世界フィギュアスケート選手権(バンクーバー) | 3 | 4 | 4 | 4 |
2001年1月14日-21日 | 全米フィギュアスケート選手権(ボストン) | - | 3 | 1 | 1 |
2000年11月7日-12日 | ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯(ゲルゼンキルヒェン) | - | 2 | 2 | 2 |
2000年10月25日-29日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(コロラドスプリングス) | - | 2 | 1 | 1 |
1999-2000 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
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2000年3月26日-4月2日 | 2001年世界フィギュアスケート選手権(ニース) | 8 | 7 | 10 | 11 |
2000年1月13日-16日 | 1999/2000 ISUグランプリファイナル(リヨン) | - | 4 | 5 | 3 |
1 | |||||
2000年1月6日-13日 | 全米フィギュアスケート選手権(クリーブランド) | - | 2 | 2 | 2 |
1999年12月2日-5日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(名古屋) | - | 2 | 2 | 2 |
1999年10月28日-31日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(コロラドスプリングス) | - | 3 | 2 | 2 |
1998-1999 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
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1999年3月21日-28日 | 1999年世界フィギュアスケート選手権(ヘルシンキ) | 5 | 13 | 12 | 12 |
1999年2月21日-28日 | 1999年四大陸フィギュアスケート選手権(ハリファックス) | - | 12 | 13 | 13 |
1999年1月7日-14日 | 全米フィギュアスケート選手権(ソルトレイクシティ) | - | 2 | 3 | 3 |
1998年11月26日-29日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(モスクワ) | - | 7 | 12 | 12 |
1997-1998 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
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1998年1月4日-11日 | 全米フィギュアスケート選手権(フィラデルフィア) | - | 6 | - | 棄権 |
1997年12月6日-8日 | 1997/1998 ISUジュニアシリーズファイナル(ローザンヌ) | - | 4 | 1 | 1 |
1997年11月22日-29日 | 1998年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(セントジョン) | 6 | - | - | 棄権 |
1997年9月25日-28日 | ISUジュニアシリーズ ウクライナ記念(ドニプロペトロウシク) | - | 1 | 1 | 1 |
1997年8月25日-29日 | ネーベルホルン杯(オーベルストドルフ) | - | 1 | ||
1997年8月19日-23日 | ISUジュニアシリーズ サン・ジェルヴェ(サン・ジェルヴェ) | - | 1 |
プログラム
シーズン | SP | FS |
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2005-2006[1][2] | シング・シング・シング 映画『スウィング・キッズ』サウンドトラックより | 禿山の一夜 作曲:モデスト・ムソルグスキー |
2004-2005[2][7] | ピアノ協奏曲第3番 作曲:セルゲイ・ラフマニノフ | クイーン・シンフォニー 作曲:トルガ・カシフ |
2003-2004[2][7] | ロミオとジュリエット 作曲:セルゲイ・プロコフィエフ | クイーン・シンフォニー 作曲:トルガ・カシフ |
脚注
- ^ a b c d e 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.98
- ^ a b c d e f g h i 斎藤貴子編『COLORS フィギュアスケート男子シングルフォトブック』あおば出版、2006年2月、pp.98-99
- ^ a b c d e 国際スケート連盟によるバイオグラフィー
- ^ Russia Anti-Gay Laws May Stir Political Tension At Sochi Games
- ^ Davis, White still undecided on competitive return
- ^ The Inside Edge: Edmunds returns following layoff
- ^ a b c d e f g h i アメリカフィギュアスケート協会によるバイオグラフィー
- ^ 梅田香子「クワドラプルジャンプ伝説」『PASSION 2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、pp.84-85
- ^ 国際スケート連盟による1999年スケートアメリカレポート Archived 2006年12月31日, at the Wayback Machine.。なお、1つのプログラムで4回転を3度成功させたのは、現在でもゲーブルを含めて世界で4人だけである。他の成功者は本田武史、張民、ブライアン・ジュベール(『Cutting Edge』p.19、国際スケート連盟による2003年四大陸選手権レポート)。
- ^ SENIOR PROFILE: Tim Goebelコロンビア大学新聞、2010年5月17日
- ^ “16 Gay and Bi Olympic Figure Skaters” (英語). www.advocate.com (2018年2月2日). 2023年7月5日閲覧。
外部リンク
- 国際スケート連盟によるティモシー・ゲーブルのバイオグラフィー(英語)
- アメリカフィギュアスケート協会によるプロファイル
- ティモシー・ゲーブル - Olympedia(英語)
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※数字は大会開催年 |
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1997/98: ティモシー・ゲーブル • 1998/99: ヴァンサン・レステンクール • 1999/00: 高崧 • 2000/01: 馬暁東 • 2001/02: スタニスラフ・ティムチェンコ • 2002/03: アレクサンドル・シュービン • 2003/04: エヴァン・ライサチェク • 2004/05: デニス・ファン • 2005/06: 小塚崇彦 • 2006/07: スティーブン・キャリエール • 2007/08: アダム・リッポン • 2008/09: フローラン・アモディオ • 2009/10: 羽生結弦 • 2010/11: リチャード・ドーンブッシュ • 2011/12: ジェイソン・ブラウン • 2012/13: マキシム・コフトゥン • 2013/14: 金博洋 • 2014/15: 宇野昌磨 • 2015/16: ネイサン・チェン • 2016/17: ドミトリー・アリエフ • 2017/18: アレクセイ・クラスノジョン • 2018/19: スティーブン・ゴゴレフ • 2019/20: 佐藤駿 • 2022/23: ニコライ・メモラ • 2023/24: 中田璃士 |
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2003: ティモシー・ゲーブル • 2004: ジェフリー・バトル • 2005: エマニュエル・サンデュ • 2006: エヴァン・ライサチェク • 2007: ジョニー・ウィアー • 2008: ジェレミー・アボット • 2009: 織田信成 • 2010: 小塚崇彦 • 2011: ジェレミー・アボット • 2012: 町田樹 • 2013: 閻涵 • 2014: マキシム・コフトゥン • 2015: ハビエル・フェルナンデス • 2016: パトリック・チャン • 2017: ミハイル・コリヤダ • 2019: 金博洋 • 2020: 金博洋 • 2021-22: 非開催 • 2023: アダム・シャオ・イム・ファ |
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1979: スコット・ハミルトン • 1980: (非開催) • 1981-1982: スコット・ハミルトン • 1983: ブライアン・ボイタノ • 1984: (非開催) • 1985: ヨゼフ・サボフチク • 1986: ブライアン・ボイタノ • 1987: (非開催) • 1988-1989: クリストファー・ボウマン • 1990: ヴィクトール・ペトレンコ • 1991: クリストファー・ボウマン • 1992: トッド・エルドリッジ • 1993: ヴィクトール・ペトレンコ • 1994-1997: トッド・エルドリッジ • 1998-1999: アレクセイ・ヤグディン • 2000-2001: ティモシー・ゲーブル • 2002: ブライアン・ジュベール • 2003: マイケル・ワイス • 2004: ブライアン・ジュベール • 2005: 髙橋大輔 • 2006: 織田信成 • 2007: 髙橋大輔 • 2008: 小塚崇彦 • 2009: エヴァン・ライサチェク • 2010: 髙橋大輔 • 2011: ミハル・ブジェジナ • 2012: 小塚崇彦 • 2013-2014: 町田樹 • 2015: マックス・アーロン • 2016: 宇野昌磨 • 2017-2020: ネイサン・チェン • 2021: ヴィンセント・ジョウ • 2022-2023: イリア・マリニン | |
名称の変遷: スケートアメリカ(1979年-現在) / ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(1995年-現在) |