ジュゼッペ・ダ・ポルト伯爵と息子アドリアーノの肖像

ジュゼッペ・ダ・ポルト伯爵と息子アドリアーノの肖像
イタリア語: Ritratto di Giuseppe da Porto con il figlio Adriano
英語: Portrait of Count Giuseppe da Porto with his son, Adriano
作者パオロ・ヴェロネーゼ
製作年1555年ごろ
種類油彩キャンバス
寸法247 cm × 133 cm (97 in × 52 in)
所蔵ウフィツィ美術館フィレンツェ

ジュゼッペ・ダ・ポルト伯爵と息子アドリアーノの肖像』(: Ritratto di Giuseppe da Porto con il figlio Adriano, : Portrait of Count Giuseppe da Porto with his son, Adriano)は、イタリアルネサンス期のヴェネツィア派の画家パオロ・ヴェロネーゼが1555年ごろに制作した肖像画である。油彩ヴィチェンツァの貴族であるジュゼッペ・ダ・ポルト(イタリア語版)伯爵と息子アドリアーノを描いた作品で、伯爵の妻と娘を描いた『リヴィア・ダ・ポルト・ティエーネ伯爵夫人と娘デイダミアの肖像』(Ritratto della contessa Livia da Porto Thiene e della figlia Deidamia)の対作品[1][2]。若いヴェロネーゼを代表する肖像画の1つで現在はフィレンツェウフィツィ美術館に所蔵されている[1][2][3][4]。また本作品の準備素描がルーヴル美術館に所蔵されている[5]

人物

ジュゼッペ・ダ・ポルト(あるいはイゼッポ)は16世紀ヴィチェンツァの著名な紳士であった。当時のヴィチェンツァは、フェラーラ人文主義者フルヴィオ・ペッレグリーノ・モラート(英語版)によってプロテスタントが導入され、ヴィチェンツァの貴族の間でカルヴァン主義に傾倒する者が多く現れた。ジュゼッペもまたそうした貴族の1人で、1545年に彼はリヴィア・ティエーネ(Livia Thiene)と結婚したが、1547年5月に妻の兄アドリアーノ・ティエーネ(Adriano Thiene)ほか数名のカルヴァン主義者とともに異端として逮捕された。しかしこの出来事はヴィチェンツァにおける彼の政治的立場に大きな影響を与えることはなく、1550年以降も政治的および文化的活動に参加し、市の行政職を務めた[6]。1552年には高名な建築家アンドレア・パッラーディオポルト宮殿(英語版)の建設を依頼しており、完成した宮殿はヴェロネーゼを含む何人かの画家によって装飾された[1][2][4][6]

作品

対作品『リヴィア・ダ・ポルト・ティエーネ伯爵夫人と娘デイダミアの肖像』。ウォルターズ美術館所蔵。 対作品『リヴィア・ダ・ポルト・ティエーネ伯爵夫人と娘デイダミアの肖像』。ウォルターズ美術館所蔵。
対作品『リヴィア・ダ・ポルト・ティエーネ伯爵夫人と娘デイダミアの肖像』。ウォルターズ美術館所蔵。

ヴェロネーゼはジュゼッペ・ダ・ポルト伯爵とアドリアーノ(Avogadro)親子の全身像を描いている。もっとも、描かれている息子はアドリアーノではなくレオニダ(Leonida)と言われることもある[2]。ジュゼッペは全身を黒の服装で統一しており、上半身に毛皮の裏地がついた厚手の黒いジャケットを着て、腰に帯剣している。左手に手袋をはめているが、息子アドリアーノの右肩に置いた右手は手袋を脱いでいる。アドリアーノもまた豪華な服装をしている。少年は金の刺繍が施されオコジョの毛皮の裏地がついたジャケットを着ている。少年は右手で父の大きな右手にしがみつきながら、左手で首にかけた金のネックレスに触れており、父と同様に腰に帯剣している。若いヴェロネーゼはジョヴァンニ・バッティスタ・モローニなどのブレシアベルガモの間の画家に典型的な様式に触発され、親子を背景の陰影がある壁龕のような空間に配置している[1][4]

ヴェロネーゼの肖像画の様式はティツィアーノ・ヴェチェッリオから大きな影響を受けたが、本作品ではいまだ伝統的なロンバルディア風の肖像画の要素を保っている[1][4]。それでいてヴェロネーゼに典型的な記念碑性とリズミカルな抑揚が表現され[3]、豪華な布地、毛皮、宝飾と、それらの質感の描写により、16世紀の肖像画の最も並外れた作例の1つと見なされている[1][4]

本作品および『リヴィア・ダ・ポルト・ティエネ伯爵夫人と娘ポルツィアの肖像』はおそらく窓の両側に掛けられることを意図して描かれた[1][4]。制作年代はおそらく1552年あるいはヴェロネーゼがヴェネツィアに移住した1553年と考えられている[1][4]

来歴

肖像画は1913年にパリ美術商シャルル・セデルマイヤー(英語版)の画廊にて初めて記録された。1924年に政治家美術商・美術収集家のアレッサンドロ・コンティーニ・ボナコッシ(英語版)伯爵によって購入され[2]、その後ウフィツィ美術館に長期貸与された。

一方、対作品は現在ボルティモアウォルターズ美術館に所蔵されている[2][7]

ギャラリー

脚注

  1. ^ a b c d e f g h “Portrait of Count Giuseppe da Porto with his son, Adriano”. ウフィツィ美術館公式サイト. 2023年12月26日閲覧。
  2. ^ a b c d e f “Veronese”. Cavallini to Veronese. 2023年12月26日閲覧。
  3. ^ a b “Giuseppe da Porto con il figlio Adriano”. イタリア文化財総合目録公式サイト. 2023年12月26日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g “Portrait of Count Giuseppe da Porto with his Son Leonida”. Web Gallery of Art. 2023年12月26日閲覧。
  5. ^ “Giuseppe da Porto et son fils Iseppo”. ルーヴル美術館公式サイト. 2023年12月26日閲覧。
  6. ^ a b “DA PORTO, Iseppo”. Treccani. 2023年12月26日閲覧。
  7. ^ “Portrait of Countess Livia da Porto Thiene and her Daughter Deidamia”. ウォルターズ美術館公式サイト. 2023年12月26日閲覧。

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ジュゼッペ・ダ・ポルト伯爵と息子アドリアーノの肖像に関連するカテゴリがあります。
  • ウフィツィ美術館公式サイト, ヴェロネーゼとして知られるパオロ・カリアリ『ジュゼッペ・ダ・ポルト伯爵と息子アドリアーノの肖像』
宗教画
  • 『聖カタリナの神秘の結婚(国立西洋美術館)』(1547年頃)
  • 『マグダラのマリアの回心』(1545年–1548年頃)
  • 『博士たちの間のキリスト』(1548年頃)
  • 『受胎告知(ウフィツィ美術館)』(1551年-1556年頃)
  • 『パリサイ人シモンの家の晩餐』(1555年-1556年頃)
  • 『エマオの晩餐』(1559年–1560年頃)
  • 『カナの婚礼』(1563年頃)
  • 聖カタリナと洗礼者ヨハネのいる聖家族』(1562年-1565年頃)
  • 聖ゲオルギウスの殉教』(1566年)
  • 『シモンの家の晩餐』(1570年頃)
  • レヴィ家の饗宴』(1573年)
  • 『東方三博士の礼拝』(1573年)
  • 『聖カタリナの神秘の結婚(アカデミア美術館)』(1575年頃)
  • 『バテシバの水浴』(1575年頃)
  • 『受胎告知(アカデミア美術館)』(1578年)
  • 『受胎告知(ティッセン=ボルネミッサ美術館)』(1580年頃)
  • 『キリストの洗礼』(1580年頃)
  • 『モーセの発見』(1580年頃)
  • 『スザンナと長老たち(白の宮殿)』(1580年頃)
  • 『スザンナと長老たち(プラド美術館)』(1580年頃)
  • 『スザンナと長老たち(美術史美術館)』(1585年頃)
神話画・寓意画・歴史画
肖像画
関連項目