ジャン1世 (フランス王)

ジャン1世
Jean I
フランス国王
ナバラ国王
在位 1316年11月15日 - 11月19日

出生 1316年11月15日
フランス王国パリ
死去 1316年11月19日
フランス王国パリ
埋葬 フランス王国サン=ドニ大聖堂
家名 カペー家
王朝 カペー朝
父親 ルイ10世
母親 クレマンス・ド・オングリー
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ジャン1世フランス語: Jean Ier1316年11月15日 - 1316年11月19日)は、フランスカペー朝の第13代国王(在位:1316年11月15日 - 11月19日)。ナバラを兼ねた(フアン1世)。第12代国王ルイ10世と2度目の王妃クレマンス・ド・オングリーの子。父の死後に生まれたため、Le Posthume(ル・ポスチュム、遺児王)と呼ばれる。

生涯

1316年6月5日に父王ルイ10世が崩御した時、ルイ10世には王女ジャンヌしかいなかった。しかし、2度目の王妃クレマンスが懐妊中であり、ルイ10世の弟フィリップが摂政となり出産を待つこととなった[1]。11月15日、男子ジャンが生まれ、ジャンは出生と同時に後を継いで国王に即位したが、生後1週間もたたずに崩御した[2]。このため、王弟フィリップがフィリップ5世として王位を継ぐこととなった。

ジャン1世の葬式。

中世ヨーロッパの乳幼児死亡率は高く、ジャンの死因の可能性は多いが、毒殺の噂がジャンの崩御の直後に広まった(そのうち1つは、おばに針で刺殺されたというものである)[3]。というのも、ジャンの崩御で利益を得る者は多く、ジャンの父ルイ10世がジュ・ド・ポームの後に急死という疑わしい状況だったことからうわさが広まった。現代でもジャンの死因は知られていない[4]

当時はフランス王の一人とは扱われなかったが、後世の歴史家や年代記作家が後に即位した同名の王をジャン2世と数えたことから、現代ではフランス王であることが認められている[5]

脚注

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  1. ^ 佐藤、p. 230
  2. ^ 佐藤、p. 231
  3. ^ "Magnificent Monarchs" (Fact Attack series) p. 23 by Ian Locke; published by MacMillan in 1999; ISBN 978-0330-374965
  4. ^ Histoire et secrets. “Histoire et Secrets - découvrir l'histoire de France et du monde - Jean Ier : un règne de quatre jours” (フランス語). histoire-et-secrets.com. 2017年6月25日閲覧。
  5. ^ Giesey, Ralph E. (2007). Le rôle méconnu de la Loi Salique: La succession royale, XIVe-XVIe siècles. Paris: Les Belles Lettres 

参考文献

  • 佐藤賢一 『ヴァロワ朝 フランス王朝史 2』 講談社現代新書、2014年。
先代
ルイ10世
フランス国王
1316年
次代
フィリップ5世
フランス君主
カロリング朝
  • シャルル2世 843-877
  • ルイ2世 877-879
  • ルイ3世 879-882
  • カルロマン2世 879-884
  • シャルル肥満王 885-888
ロベール朝
  • ウード 888-898
カロリング朝
  • シャルル3世 898-922
ロベール朝
  • ロベール1世 922-923
ボゾン朝
  • ラウール 923-936
カロリング朝
  • ルイ4世 936-954
  • ロテール 954-986
  • ルイ5世 986-987
カペー朝
  • ユーグ1世 987–996
  • ロベール2世 996–1031
  • ユーグ2世(共同王) 1017-1025
  • アンリ1世 1031–1060
  • フィリップ1世 1060–1108
  • ルイ6世 1108–1137
  • フィリップ(共同王) 1129-1131
  • ルイ7世 1137–1180
  • フィリップ2世 1180–1223
  • ルイ8世 1223–1226
  • ルイ9世 1226–1270
  • フィリップ3世 1270–1285
  • フィリップ4世 1285–1314
  • ルイ10世 1314–1316
  • ジャン1世 1316
  • フィリップ5世 1316–1322
  • シャルル4世 1322–1328
ヴァロワ朝
  • フィリップ6世 1328–1350
  • ジャン2世 1350–1364
  • シャルル5世 1364–1380
  • シャルル6世 1380–1422
  • シャルル7世 1422–1461
  • ルイ11世 1461–1483
  • シャルル8世 1483–1498
ランカストル朝
  • アンリ2世(異説あり) 1422-1453
ヴァロワ=オルレアン朝
  • ルイ12世 1498–1515
ヴァロワ=アングレーム朝
  • フランソワ1世 1515–1547
  • アンリ2世 1547–1559
  • フランソワ2世 1559–1560
  • シャルル9世 1560–1574
  • アンリ3世 1574–1589
ブルボン朝
  • アンリ4世 1589–1610
  • シャルル10世(対立王) 1589–1590
  • ルイ13世 1610–1643
  • ルイ14世 1643–1715
  • ルイ15世 1715–1774
  • ルイ16世 1774–1792
  • ルイ17世(名目上) 1792–1795
ボナパルト朝第一帝政
ブルボン朝復古王政
  • ルイ18世 1814–1815
ボナパルト朝百日天下
  • ナポレオン1世(復位) 1815
  • ナポレオン2世(名目上) 1815
ブルボン朝復古王政
  • ルイ18世 1815–1824
  • シャルル10世 1824–1830
  • ルイ19世(異説あり) 1830
  • アンリ5世(異説あり) 1830
オルレアン朝七月王政
  • ルイ・フィリップ1世 1830–1848
ボナパルト朝第二帝政
イニゴ家
ヒメノ家

サンチョ1世ガルセス905-925 / ヒメノ・ガルセス925-931 / ガルシア1世サンチェス931-970 / サンチョ2世ガルセス970-994 / ガルシア2世サンチェス994-1004 / サンチョ3世ガルセス1004-1035 / ガルシア3世サンチェス1035-1054 / サンチョ4世ガルセス1054-1076 / サンチョ5世ラミレス1076-1094 / ペドロ1世1094-1104 / アルフォンソ1世1104-1134 / ガルシア・ラミレス1134-1150 / サンチョ6世1150-1194 / サンチョ7世1194-1234

シャンパーニュ家

テオバルド1世1234-1253 / テオバルド2世1253-1270 / エンリケ1世1270-1274 / フアナ1世1274-1305

カペー家

フェリペ1世1284-1305 / ルイス1世1305-1316 / フアン1世1316 / フェリペ2世1316-1322 / カルロス1世1322-1328 / フアナ2世1328-1349

エヴルー家

フェリペ3世1328-1343 / カルロス2世1349-1387 / カルロス3世1387-1425 / ブランカ1世1425-1441

トラスタマラ家

フアン2世1425-1479 / カルロス4世(王位請求者)1441-1461 / ブランカ2世(王位請求者)1461-1464 / レオノール1479

フォワ家

フランシスコ1世1479-1483 / カタリナ1483-1517

アルブレ家

フアン3世(共同王)1484-1516 / エンリケ2世1517-1555 / フアナ3世1555-1572

ブルボン家

アントニオ(共同王)1555-1562 / エンリケ3世1572-1610 / ルイス2世1610-1620 / フランス王位へ統合

トラスタマラ家

フェルナンド1512-1516 / フアナ1516-1555 / スペイン王位へ統合

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