エミール・アヨー

エミール・アヨー(Emile Aillaud、1902年1月18日 - 1988年)はフランスの建築家

経歴

1902年、バルセロネットに生まれる。ボザールで建築を学ぶ。後にはアトリエ・パトロンも勤める。

1937年に第1作である「美の宮殿」をパリ万国博覧会で発表しているが、この時はまだ話題を呼ぶこともなかった。

第二次世界大戦中は戦禍を避けリヨンボルドーなどを転々としている。

アヨーが注目され出すのは戦後になってからで、集合住宅の分野における独自の方法論で知られるようになる。作風として個性的で意外性のあるものが多く、集合住宅においてもヒューマンスケールを心がけ、単調さを避ける傾向がある。不定形や正弦曲線、うねる道すじや湾曲状の配置構成などを多用するほか、スーパーグラフィックなども積極的に採用する。

1988年、パリで死去。

作品

  • アプル・ボアール地区集合住宅 ボビニー 1958年
  • クールティエール地区集合住宅 バンタン 1961年
  • ウェイズベルグ地区集合住宅 フォルバック 1966年
  • ナンテール集合住宅 ナンテール

参考文献

  • The Beaux-arts and Nineteen Century French Architecture, London, 1982
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