ウラジミール・ギカ

ウラジミール・ギカ
モンシニョール
教会 カトリック教会
教区 パリ大司教区
聖職
司祭叙階 1923年
個人情報
出生 (1873-12-25) 1873年12月25日
オスマン帝国の旗 オスマン帝国
コンスタンティンノープル(現・イスタンブール
死去 (1954-05-17) 1954年5月17日(80歳没)
ルーマニアの旗 ルーマニア
ジラバ
聖人
称号 福者
列福 2013年8月31日
 ルーマニア
ブカレスト
列福決定者 フランシスコ
テンプレートを表示

ウラジミール・ギカ(Vladimir Ghika、1873年12月25日 - 1954年5月17日[1])はルーマニア貴族カトリック教会司祭

生涯

ギカはルーマニアの国防大臣の子としてコンスタンティノープル(現・イスタンブール)で生まれ、祖父はモルドヴァ最後の国王で母はフランス系ロシア人であった[1]。 彼はギリシャ正教会の洗礼を受け、パリトゥールーズで過ごし、高度な教育を受ける。24歳の頃、ローマに留学。29歳の頃、カトリック教会へ転籍。ルーマニアにおけるカトリック慈善事業の創立者として聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ会を招聘、慈善、福祉等の活動を展開した[1]。 ルーマニア農民一揆で負傷した男性に自分の皮膚を提供した。 1923年、司祭叙階。パリ大司教区に属し、同年、「聖ヨハネ兄弟姉妹会」を設立。 1931年、ローマ教皇ピウス11世により「モンセニョール」の称号を受け、1933年、日本に訪問、日本におけるカルメル会修道院設立に尽力、昭和天皇の謁見を受ける。 1939年、ルーマニアに帰国。 1952年、共産政府によって逮捕されブカレストの収容所に投獄、拷問を受け、1954年5月17日、牢獄にて帰天[1]。 2013年、ブカレストにて列福。

出典、脚注

  1. ^ a b c d “モンセニョール・ウラジミール・ギカ師”. 福音史家聖ヨハネ布教修道会. 2017年5月9日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • モンセニョール・ウラジミール・ギカ師|福音史家聖ヨハネ布教修道会
  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。

  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、貴族に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:人物伝/PJ:歴史/PJ:人物伝)。

  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、ルーマニアに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:東ヨーロッパ / P:ヨーロッパ)。

  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、ヨーロッパの歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/P:ヨーロッパ/PJ歴史/PJ:ヨーロッパ)。

  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。

  • 表示
  • 編集
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
  • VIAF
  • WorldCat
国立図書館
  • フランス
  • BnF data
  • ドイツ
  • イスラエル
  • アメリカ
  • オランダ
  • ポーランド
  • バチカン
その他
  • IdRef